ボストンの語学学校から、ボストンの語学学校から、Cypress Collegeそして、UC Berkeleyへ進学し心理学を専攻して学士号を取って帰国するまでのエピソード

合気道とは

私の合気道観
趣味で合気道を12年近く稽古してます。合気道とは日本発祥の武道です。私の持論では武道には試合が無く、主に型稽古を稽古します。試合のための体の動かし方と、実戦のための体の動かし方は本質的に違うため、試合の為にのみ稽古している道場では、柔道や空手や剣道や合気道であっても、武道の本質を見失いがちだというのが私の考えです。
 まず、どんな試合にもルールがあるため、ある一定の条件下で競う事に成ります。武器の使用や、急所を狙う事、特定の技は事故防止のために禁じられています。その様な条件下では、筋力や勢いに頼った動きの方が有利になりがちです。合気道を含めた武道の型稽古の動きの中には、人体の急所を狙って当身を入れたり、刃物を使う事が前提の動きが有ります。刃物を使う事を前提にしている場合は、人体の太い動脈を狙う動きもあります。その様な動きには、腕力や勢いは必要が無く、スピードや技術が重要です。
武道の技とは、試合等で軽はずみに使えるものではないことから、武道が究極的に目指すものは、調和であり、争いの無い平和な世界であると思います。 合気道は、型稽古が中心であり、体の動かし方を稽古していると考えると、ダンスに近いと答えるくらいの達観した考え方で良いと思っています。

 礼節を重んじる意味
 武道では礼節が重んじられます。人間は、社会的な動物で人より上位でありたいという本能が有ります。優劣を競うのが人の動物としての本能で、それが世の中の争いを生んでいると思います。合気道では、投げられ、捻じられ、痛い思いをして、月謝を払い、お互いに「ありがとうございました。」とお礼を言い合います。これは、基本的に人間の本能に反することです。礼節を尽くすことは、誰に対しても尊敬の念を示すことで、自分の動物的な本能と戦い、人としての格を高めようとするものです。これが合気道の稽古の本質だと思います。お互いが、お互いに無礼をはたらいて、怒らせれば、命のやり取りになるかもしれないという緊張感の中で稽古をするべきです。稽古では、技がうまく決まらない時が誰にでもありますし、技が返される時もあります。そういった時こそ、落ち着いて理由を考えるべきだと思います。逆に、その時に腕力や、スピードに頼って無理に技をきめてしまっては、合気道の技も身に付かず、人としての成長も無いと思います。

 技術的な事
私が考える合気道の持論です。独断と偏見に基づき忘備録的に書いています。
ちなみに現在は都内の道場で稽古しています。
     ・合気道技術考察(相手を伸ばす)
     ・武器技について
     ・東京都内でビジターで稽古が出来る道場


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